45年前の1964年に開催された東京オリンピックは、いまだ発展途上国だった日本を経済先進国へと押し上げる契機となった。ヨット競技の会場として新設された江の島ヨットハーバーも、その後の日本ヨット界発展のセンターとして機能した。 その江の島ハーバーで関一人さんと会った。 ベルリンオリンピック(1936年)への初参加以来、日本ヨット界の悲願だったメダル獲得。第28回アテネ五輪(2004年)470級で3位に入り、男子として初めてのメダルを実現した関一人/轟賢二郎チームは、いまのところ男子で唯一のオリンピック・メダリストだ。 現在、関東自動車工業でロンドン五輪出場を目指すセーリングチームのコーチを務める関さんに、オリンピックの素晴らしさ、あるいは難しさとはどのようなものか、また2016年東京五輪開催への期待をうかがった。
OP級、470級などの世界選手権に合せて14回も出場し、アジア大会も2度経験している関一人さんだが、オリンピックはそれらとは全く別のものだった。もちろん厳しさのレベルが違うが、なによりも雰囲気が違う。それは全く経験したことのないものだった。
その特殊な雰囲気に呑まれず、実力を発揮してオリンピックメダルを獲得するには何が必要なのだろうか。
「オリンピックでは、結局、その人の人間性が問われるのではないか」と関さんはいう。 アテネ大会はアメリカ(金)とイギリス(銀)の2チームがダントツに強かったが、関さんにとって印象的だったのは彼らの素晴らしい人間性だった。「本当に人間的にも尊敬できる連中でした。技術もすごいけど、人格的にもかなわないなと思いましたね」
メダリストになるには最高レベルの心技体が要求される。が、それを実現するのはその人の過去を含めたトータルな人格であり、人間性だ。それが順位に反映すると考えておかしくはない。逆に言えば、いかに才能とセンスに恵まれようと、人間性が劣れば、オリンピックという究極の舞台で好成績をあげることはできないのだ。
関さんは明るく、そして謙虚な人柄だ。メダリストだから偉いんだといった高慢さはかけらもない。華やかな戦歴を持ちながら、僕はあまりヨットのセンスがないんですよ、スタートも上手くないしスピード勝負ができないし・・・などと平気で言って明るく笑う。
しかし真相は少し違うだろう。中学生のときにすでにオリンピックを意識し、そこへ至る道を自分で考え、自身の力で切り拓いてきた。レーサーとしては目先の結果に振り回されず、常に自分の立ち位置を確認してから次の課題を設定し、その克服に努力してきた。レースを求めて年間6ヶ月、ヨーロッパとオーストラリアを旅し、自炊しながら年間200日のセーリングを4年間続けた‥‥。
たゆまずに前進した関さんの人間性もまた素晴らしい。銅メダルはその反映であるが、積み重ねた努力が実体であり、メダルは「形」に過ぎない。「メダルが特に重いと思ったことはないですね」という関さんの言葉の意味は深い。
オリンピックという、いつもと違う雰囲気を楽しむことができた。 力が出せないということは全くなかった。いつも通りにできたこと がメダル獲得の要因の一つ(表彰式。写真:関一人氏提供) |
轟クルー(右)は優秀なセーラーだが、それよりもオリンピックで勝 ちたいという強いモチベーションが共通していて、それがペアを組む 最大の理由になった(写真:関一人氏提供) |
関一人さんが選手として参加したオリンピックの舞台は素晴らしかった。最高のセーラーたちが全人格をかけてフェアに戦う場だから、レーサーにとってオリンピック出場以上の醍醐味はありえない。
そして「選手であるなしにかかわらず、大きな感動をみなで共有できるところがオリンピックの本当の素晴らしさでしょう。匹敵するものはほかにありませんね」と関さんは言う。それが2016年の東京で実現すれば、まさに素晴らしいことだ。
日本のセーリング環境が進展することを切実に願う関さんは、セーリングへの関心を高めるためにも日本の次のメダルを期待し、そのために種目にこだわらずコーチという立場でセーリング競技に関わっている。その意味で実現すれば地元開催となる2016年東京は重要であり、日本ヨット界にとって新たな発展の契機になると考えている。
そのときには、フアンには「実際に海に出て、風を感じながら観戦して欲しいですね」と関さん。そうすることで、オカにいては絶対にわからない感覚、海とヨットの気持ち良さが実感できるからだ。
昨年の北京五輪ヨット競技では、最終レースだけだったが、大勢の観客を集めた防波堤のごく近くにレースコースを設定し、各クラスの金メダルが決定すると観衆が大歓声をあげたという。2016年東京五輪でもそんな工夫で一般の関心を引きつけ、ヨット普及に結びつけたいと関さんは願っている。
せき・かずと:関東自動車工業(株)本社情報センター勤務、同セーリングチーム・コーチ、日本セーリング連盟オリンピック特別委員会委員 1975年9月11日清水市(現・静岡市)生まれ、千葉市育ち。小学校2年の時、千葉ヨットビルダーズクラブのジュニアとしてOP級を始める。千葉市立磯辺第1中学、土浦日本大学高等学校、日本大学を通じてヨット選手として活躍。98年関東自動車工業株式会社入社、セーリングチームに所属。2004年アテネオリンピック男子470級で男子として初のメダル(銅)を獲得。「ヨットが上手くなりたくて」08年北京オリンピックを目指し現役を続けたが、最終選考で代表に漏れ、08年4月から同社セーリングチームのコーチに就任。
撮影・文 早川知加志