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2019年12月19日

【INTERVIEW】
倉橋隆行さん(翔鴎オーナー、シー・エフ・ネッツグループ代表取締役)
大海原に大いなる夢を描いて。蘇った<翔鴎>に馳せる思い…

 賑やかな横須賀線大船駅から徒歩数分、閑静な住宅街の一画にある瀟洒なビル、シー・エフ・ネッツグループの鎌倉本店に倉橋隆行オーナー(61歳)を訪ねた。
 不動産事業を幅広く展開するシー・エフ・ネッツグループを率いる倉橋隆行オーナーは、この道のプロとして、コンサルティング事業や講演活動に全国を飛び回る多忙な日々を送っている。その倉橋オーナーが手掛ける関連事業のひとつに<翔鴎>ヨット倶楽部がある。
 「ご存知のとおり、<翔鴎>は1986年に進水した船齢33年のオールドシップです(笑)
 全長は60フィート、設計は日本を代表するヨットデザイナーの林賢之輔先生です。
 当時としては国内最大級の外洋クルーザーとして注目を集め、小豆島の岡崎造船所で建造されました。進水後の<翔鴎>は、30余年の間に地球を約4周もするほどの距離を帆走り、1万人を超えるヨットマンを育てた輝かしい船歴を誇るクルーザーですが、残念なことに、近年、船体の老朽化が激しく、レストアの必要性が生じていました」
33年前、小豆島の岡崎造船所で<翔鴎>は建造された
編集部(以下略)――それで、レストアを引きうけることになったのですか
 「私のところに来たときには、外板から内装に至るまでだいぶ傷んでいて、造船所に相談したんですよ。そうしたら、悪いところはぜんぶ変えなければダメだと云うでしょ。こりゃ、大変だと思いましたね。でも、日本のヨット界に大きな足跡を残したフネですから、その伝統を守らなければいけないと考えましてね。<翔鴎>をもういちど蘇らそうとレストアすることに決めたのです」
――レストアされた<翔鴎>は新艇同様の仕上がりですが、ぜんぶやり直したのでは大変なご苦労があったのでは…
 「造船所にお願いしてから完全にレストアするまで3年もかかりました。写真をご覧になって戴ければわかると思いますが、外も中もぜんぶ造り直しました。もちろん、エンジンやセール、リギン類まで新艇同様の仕様になったのですから、まったく新しいフネを造るほうが楽だったと思いますよ。時間と費用面を考えれば…(笑)」
レストア中…デッキもチークですべて貼り替えられた
約3年の月日を掛けて大改造が施された<翔鴎>
レストアされた<翔鴎>のコクピット周り
――見事に蘇った<翔鴎>は、いま、どのような活動をしているのですか
 「弊社の関連事業所のひとつに、2014年に発足した翔鴎ヨット倶楽部があります。この倶楽部の目的は、ヨットやボートに気軽に乗っていただき、海に親しんでもらうことで、<翔鴎>をはじめとした倶楽部艇で自由に海とヨットライフが楽しめる倶楽部です。<翔鴎>はヨット倶楽部のフラグシップとしてヨットの講習会や体験イベント、チャーターサービスに活躍しています。
 ヨットやボートを所有していなくても、小型船舶操縦士免許を持っていなくても、気軽にマリンライフを楽しめるのがチャーターシステムの素晴らしいところです。
 例えば、大型クルーザーで相模湾を快適にセーリングしたり、千葉県の保田漁港に美味しい魚介類を食べに行ったり、伊豆大島や初島へクルージングしたりと、ヨットライフの幅が全国の海に広がるのもチャーターシステムのいいところです。翔鴎ヨット倶楽部も、将来は、全国各地の海で気軽にヨッティングが楽しめるようなシステムつくりが出来ればいいなと思っています。
 ちょっと宣伝っぽくなりますが、ぜひ、素敵なヨットライフを味わっていただくために翔鴎ヨット倶楽部をご活用ください…(笑)」
ヨットスクールやチャーター艇として活躍する<翔鴎>

<翔鴎>ヨット倶楽部
http://asobigasaki.com/kamometobu/
――ところで、ヨットとの出逢いはいつ頃からだったのですか
 「私は、もともと横浜の生まれで、海は身近な存在だったのですよ。でも、始めはモーターボートに乗っていました。いろいろな海で釣りをしたり、クルージングに出掛けたりと、ボートライフを楽しんでいたのですが、あるとき、ヨットに乗る機会があって、“こいつは面白いや”と…
 ほんのちょっとした切っ掛けでヨットに“ハマって”しまいました(笑)
 それから、本格的にヨットを覚えようと、江の島のヨットスクールにも通ったんですよ。2人乗りのディンギーで練習したのですが沖で枕をしたりと…これがなかなか難しかった(笑)
 ちょうどその頃は事業も大変忙しくなってきて、ヨットは友人のクルーザーに乗せてもらったり、シーボニアで大型クルーザーの<シナーラ>をチャーターしたりして、ヨットライフを満喫していました」
天然の良港、油壺湾から小網代、諸磯湾を望む
――いまは、横浜から神奈川県の三崎市に移り住んで、三崎・城ヶ島のタウンマネジメントにも手腕をふるっておられると伺っていますが…
 「三崎は新鮮な魚介類が食べられるし、都会の喧騒から離れてのんびりしていて空気も美味しいし、非常に気に入っています。もともと、食べることが大好きなんですよ(笑)
 マグロの街として有名な三崎港は三浦半島の先端にありますが、東京の品川から電車とバスで1時間半、決して遠いところではないんです。三崎港の周辺は通称「三崎下町」と呼ばれ、蔵造りの商店街や入り組んだ狭い路地など、昭和そのものの古い街並みがいまも残っています。
 でも、ご存知のように、昭和40年代をピークにマグロ水揚げ量が減っていって、人口の減少や高齢化が進んでいき、観光客で賑わいを見せていた「三崎下町」もいつしかシャッター通りと化してしまいました。人がまばらになった街に、繁栄の象徴ともいえる豪壮な蔵造りの建物だけが残ってしまったわけです」
――昔は、三崎港も賑やかだったですね。それで、三崎の地域活性化に取り組まれたのですか
 「10年ほど前から、このレトロな街並みを観光資源として何とか活用できないか、と。三崎下町には“昭和の漁師町”がそっくり残っている。したがって、新しく立派な施設をつくる必要なないので、既にあるインフラを再生させれば、新たな価値が生まれるわけです」
――商店街を歩くと、古民家を改装した食堂やアクセサリーショップ、ガラス工芸館などが目に付きますね
 「いままで、城ヶ島に宿泊とレストランを兼ねた「城ヶ島・遊ヶ崎リゾート」をオープンさせたり、三崎下町に本格的な日本料理店「蔵」をつくったりと、活性化のための店舗展開を進めてきました。
 三崎活性化の象徴は、三崎港バス停向かいの山田屋酒店です。100年以上の歴史を持ったこの建物は5年前にゲストハウス「酒宿山田屋」に生まれ変わりました。じつは、山田さんが経営難で酒屋をたたむと聞いたとき、「勿体ない」とそっくり買い取って、1階は引き続き酒屋として、2階を宿泊用に改装したんです。いまは、釣り人にも人気で稼働率も4割を超えているんですよ。築80年の時計店を改装してオープンしたドーナツ店も人気を呼んでいるし、街歩きをする若い女性の姿も目立っているんですよ。地域活性化に取り組んできた結果、新たな観光地として注目を集めているのが、いまの三崎下町なんです」
三崎活性化の象徴「山田屋酒店」
重厚な蔵造りの日本料理店「蔵」も新たな三崎の顔となった
――最後に、これからの目標などあれば教えてください
 「いま、三崎市、神奈川県、民間企業が一体となって三崎市にスーパーヨットを誘致する計画が持ち上がっています。これは、三崎漁港にスーパーヨットと呼ばれる大型クルーザーを受け入れることによって「地元経済の活性化」と「水産業を中心とした海業」の振興を図るもので、すでに、2020年東京オリンピック観戦目的の大型クルーザーから数件問い合わせがあると聞いています。
 三崎港は、東京湾に向かうフネと相模湾から外洋に向かうフネの中継地でもあるわけです。したがって、スーパーヨットの基地に成り得る可能性を十分に秘めている。油壺や諸磯など天然の良港に恵まれ、外洋ヨットの泊地として日本はもとより外国のヨット乗りにも知られた三崎港は、三崎下町と同様に、もっともっと発展することを願っています」
倉橋隆行(くらはし たかゆき)
 1958年、横浜生まれ。株式会社CFネッツ代表取締役兼CFネッツグループ最高責任者。グループ企業18社を率いる現役の実業家。2000年に日本初の不動産コンサルタント会社CFネッツを創業。不動産コンサルティング界の第一人者として20社を超える起業に携わり、講演や執筆活動で全国各地を飛び回っている。また、不動産投資家としても知られ、神奈川県三浦市の都市再生計画に深く関わり、「城ヶ島・遊ヶ崎リゾート」や「三崎港・蔵」、「三崎港ラーメン」、「伊万里ちゃんぽん」などの経営やプロデュースを自ら手掛け、経営に関わった2店舗がミュシュランガイドに掲載されるなど、美食家としても知られている。著者自らの、赤裸で楽しく生きるノウハウを伝授した「教訓」(プラチナ出版)ほか著書多数。