yachting(ヨッティング)は、海を愛するひとびとの総合情報羅針盤です。

海人伝説 「レジェンド」 たちの軌跡 <3>

第一回第二回第三回

大いなる“夢追い人”、高橋太郎物語

 三浦半島の突端、三崎港の奥深く、海に面した工業地域の一角にその“ヨット工房”があった。
 大きな双胴のハル、防護シートに覆われた広々としたキャビンに一歩足を踏み入れると、壁面には多様な設計図が張り廻られ、床面には、補強材など成型された支柱や材料、工具類が整然と置かれ、作業現場特有の空気に満ち溢れていた。
 その、手造りのヨット工房のなかで、全長38フィートの大型カタマラン(双胴ヨット)が、たったひとりの“夢追い人”の手で建造が進められていた。
 “太郎ちゃん”の愛称で親しまれている高橋太郎さんは、1948年に佐賀県唐津市で生まれ、今年74歳になる現役のヨットデザイナーだ。世界中を舞台に駆け巡り、数々の実績を残してきたその“太郎ちゃん”が、神奈川県の三崎港の奥で、子供のころからの夢であった大型のカタマランを自ら設計し、自らの手で建造を始めたのは5年も前のことだった。


子供の頃から、モノ作りが大好きでした、、

 「小さい頃から舟に関心があり、小学校に入る前、角材を少し尖らせた程度のフネの模型を作って、ドキドキしたことをいまでも懐かしく思い出します。唐津から広島市や高知市と、小学校時代は転校が多かったのですが、確か、5年生のとき、宿毛市の片島で、杉板を組み合わせた小舟を作り、片島の港に浮かべ遊んでいました。この頃は、港の造船所通いが放課後の日課でした(笑)」
 1960年代初め、黎明期を迎えた日本の外洋ヨット界に飛び込んできたビッグニュースが、堀江健一さんの小型クルーザーによる太平洋単独無寄港横断航海だった。
 「確か、1962年のことだったと思いますが、このニュースがヨットに目覚めるきっかけをつくってくれたように思います。まだ、中学3年か高校1年生だったと思いますが、当時の高知市の浦戸湾には1~2隻のヨットしかありませんでした」
 中学、高校時代を高知市で過ごした“太郎ちゃん”は、驚いたことに、ヨットの入門書と百科事典を頼りに全長12フィートのヨットを設計し、「初等船舶算法」という難しい本で排水量計算をして、ベニヤ4枚で12フィートディンギー<DREAMER>を進水させた。
 “何事も危険だから、”と断られる現代と違って、当時は、夏休みには学校の工作室も届出さえ出せば自由に使え、丸鋸さえも自由に使える時代だった。
 「マスト、リギン、艤装品などはすべて手作りでした。地元の鉄工所で切れ端の鉄板を譲ってもらい、チョークでセンターボードの輪郭を描いてガスバーナーで切ってもらったのが、いちばんの思い出です(笑)」
 こうして、“太郎ちゃん”の「夢追い人」人生の第一歩が始まった。

始めて設計し、自作した12フィートディンギー<DREAMER>、浦戸湾にて


ヨットデザイナーとしての第一歩を踏み出して

 「ヨットデザイナーになるためにはどうしたらいいか――当時、日本のヨットデザイン界の第一人者だった横山晃先生に手紙を書いてお伺いしたところ、“大学の造船科に入りなさい”という返事をもらって、進学したのが横浜国立大学造船科だったんです。
 大学入学後、すぐ横山設計事務所を訪ねました。その時、知り合ったのがヨットデザイナーの武市俊さん、村本信男さんでした。そんなご縁で、名艇<シレナ>の見習いクルーになることが出来ました(笑)」
 日本の外洋ヨット界黎明期に活躍した<シレナ>は、当時の外洋レース界を席巻した常勝艇で、誰もが憧れた名艇。そんな名艇の楽しさと厳しさを体験した“太郎ちゃん”は、同時に、すでに、武市・村本設計事務所として独立していた武市、村本さんに師事し、ヨットデザインの基礎から学ぶ幸運に恵まれた。
 「1970年代は、ヨットやボートなどマリン業界が大きく飛躍した時代で、初めて、沖縄~東京レースが開催され、大島レースなど、島回りレースが盛んに行われ、それは賑やかな時代でした。
 学生時代は油壷に入り浸りで、いろいろなことに遭遇し、楽しいこともいっぱい経験しました。
 そんなどっぷりとヨットに浸った学生時代を過ごして、卒業後は、武市・村本設計事務所に就職し、
 本格的に、ヨットデザインの道を歩み始めたわけです。」

若かりし日に、故・武市俊さん(中央)、村本信男さんと。<シレナ>艇上にて

ヨットに入り浸りの毎日を送っていた

太平洋横断レースの即席通訳も。右は仏の有名なシングルハンドセーラー、テルランさん


アメリカズカップへの挑戦、そして、海外生活で学んだこと

 1973年8月、幸運にも“太郎ちゃん”はヨットの本場、アメリカのニューヨーク郊外、オイスターベイにあるヨットデザイン事務所「チャンス&カンパニー」に就職することが出来て、3年間をアメリカで過ごし、多くのことを学んだ。ブリトン・チャンスは、当時、日本でも知られた気鋭のヨットデザイナーで、ちょうど、1974年に開催されるアメリカズカップの防衛候補艇<マリナー>の設計を進めているところだった。
 「ヨットの先進国であるアメリカでは、ヨットデザインの手順が論理的で、いろいろなツールも揃っていて大変驚きました。同時に、アメリカ人のちょっと強引とも云える割り切り方、推論の進め方、人生の楽しみ方など、大変、勉強になりました。
 ロングアイランドサウンドでの生活は貴重な体験が出来て楽しかったですね。ヨットレースや友人とのドライブやハイキングがいつも楽しみでした。特に、ニューヨークヨットクラブメンバーによるクルーズやレースに参加して、普段は雑誌などでしか見られない、アメリカズカップのスキッパーなどの有名人とレースが出来て感激しました。
 チャンスが手掛けた防衛候補艇<マリナー>は、斬新なデザインでしたが期待した性能を発揮出来ませんでした。でも、最後のチャンスに賭けた大改造の時には、憧れの12Mクラスのラインズを引くことも出来ました。
 そして、1976年、3年間のアメリカ生活を終えて日本に帰国しました。」

ロングアイランドサウンドでの充実した生活、本場のヨットライフを存分に味わった

 帰国後の“太郎ちゃん”は、リギングメーカーT&Mでマストやヨット部品の設計を手掛け、その後、ヨット事業に進出した大手企業の日産自動車に誘われて、約10年間を日産自動車マリーン部に勤務した。その間、ヨット、ボートの設計から輸入ヨットの国産化、輸入業務の実務など、大企業ならではの貴重な実務経験が、後日、再び、アメリカズカップに関わるうえでの大きな財産となった。
 「1992年のアメリカズカップに日本が初めて挑戦したとき、「ニッポンチャレンジ」の一員として参画し、カーボンファイバー製のマストやブーム、コバルト合金製のリギングを設計しました。
 その後、1995年の2度目の挑戦では、マスト、リギングの他にも船体やバラスト、ラダー、デッキ艤装に至るまで、アメリカズカップ艇の構造すべてを検討し、設計しました。
 2000年、3度目の挑戦では、構造、設計と建造のコーディネーターとして参画しました。この時は、既存の造船所ではなく、ニッポンチャレンジが組織した建造チームで建造したので、大変でしたが、やりがいもありました。
 アメリカズカップは、大変大きな仕事で、いろいろなことを吸収出来ました。ただ、連続した仕事ではなかったので、その間に、セーリングカヌーのFRP構造の検討やFRP製救急車の車体構造計算、アルミニウム製階段や新幹線駅構内(西鹿児島駅)のバナーボールの構造設計など、ヨット以外でもいろいろなことに挑戦しましたよ(笑)
 アメリカズカップ関係では、2003年にイギリスのGBRチャレンジにデザインチームの一員として参画し、2007年にはイタリアのマスカルゾーネチームに加わり、スペインのバレンシアに1年間滞在して仕事をしました。高校生の頃から、夢と憧れの的であった至高のアメリカズカップに、15年近くも直接関わってきた経験は、その後の私の人生に重要な影響を与えているのだと思います」


夢追い人が求めた究極の選択、、、

 「子供の頃から、ヨットを自作して、そのヨットで船上生活をすることが夢でした。アメリカ滞在中に、自由なヨットライフを味わって、その夢を現実のものにしようと決心しました。
 でも、たいした貯えがあるわけでもなく、夢と熱意だけで、本当に船上生活が出来るようなヨットを手に入れることが出来るものか、と、いつも考えていました。
 そして、子供の頃からモノを作ることが好きだった…ヨットの設計、製造にも関わったことがある…ヨット部品、建築部品の設計、製作経験があり、ほとんどの部品が自作出来て、細部の組み立てについての知識もある…など、幸いにも、いままで経験してきたことを活かして、自分のフネを手に入れる方法を考えつきました(笑)」
 つまり、自設計、自作艇なら、材料費+αで、自分のフネが建造できるということを…
 例えば、FRP材料が1Kgあたり500円平均だとすると、重量6トンの船体の材料は300万円ということになる。しかし、船体だけではフネは走れない。ほかに、エンジン、マスト、デッキ部品、内装部品、セール、安全備品など、完成までには必要な装備品が無限に続くのである。
 「私の<DREAMER>(夢追い人)は、全長38フィートのカタマラン(多胴艇)です。なぜ、カタマランなのか…カタマランには以下のように魅力的な特徴がいろいろあります。

 ① カタマランは幅が広いので傾かない。傾斜角度は最大で5度くらいに出来る
 ② 幅が広いので大きな居住面積が取れる
 ③ 左右の船体と中央のブリッジキャビンでプライバシーのある部屋の配置が可能
 ④ バラストを持たないのでボリュームのわりに排水量が小さい
 ⑤ 喫水が浅いので係留場所や行動範囲が広くなる
 ⑥ 小さなエンジンで済むので経済的だし、操縦性、セーリング性能も上がる
 など、カタマランは魅力的な特徴をいっぱい備えています。

 これらの特徴は、私の夢を叶えるのに非常に魅力的なことなのです」
 これほどの魅力を持つカタマラン(多胴艇)が、一般的でないのは何故なのだろうか。
 日本で、一般的にカタマランが受け入れられない要素が二つある。第一の要素は、マリーナに係留すると係留費がべら棒に高くなること。そして、二番目は、転覆するので安全ではない、と考えられていることだ。

ロングアイランドサウンドでの充実した生活、本場のヨットライフを存分に味わった

帽子の内側は危険防止のヘルメットが

壁面に張られた図面を確認

キャビン内でのデスクワーク、詳細図を確認する

スタンション止め金具、デッキ装備の金具も自作

効率よく作業をするためのアイディアが

その日の作業工程を確認する


「海に移住」することの魅力こそ…

 「海での、快適な居住空間を持ったフネはカタマランがいちばんです。だから、極端に言えば、係留費が払えないところには寄港はするけれど係留はしないし、転覆した不沈船はライフラフとより安全です。なぜ、カタマランにこだわるのかと云えば、自作している究極の目的は「海への移住」だからです。
 欧米には、「LIVE ABOARD」(船上生活)という言葉があって、大勢のひとがヨットやボートに住んでいます。季節を追って、移動しながら生活を楽しんでいます。残念ながら、いまの日本では、いろいろな規則に縛られてヨットで生活することは難しいとは思いますが…
 でも、海が好きで、ヨットやボートでのクルージングが大好きで、時間がたくさんあれば、海に移住するというオプションがあって当然だと思うのです。私の夢を現実のものにするのが、38フィートカタマラン、この<DREAMER>なのです」
 2016年秋、三浦市でヨット、ボートの塗装や修理を営む川崎塗装株式会社の川崎比呂道社長の尽力により、工業地域の一角にある同社敷地内スペースの一部をお借りして、夢追い人の<DREAMER>プロジェクトが現実のものとなった。
 大いなる夢追い人、高橋太郎の建造プロジェクトは、いま、佳境を迎えつつある。


<夢追い人>プロジェクト計画>


第一ステージ(現在の計画とも夢とも言える段階)
・プランニングと設計、製作法の検討と詳細設計、コスト見積もり。
・建造場所を探す。

第二・第三ステージ(船体製作)
・詳細な型図を元に船体のFRP積層のための型を製作する。
・FRP船体を製作する。
・エンジンと最小限の艤装品を取り付けて進水させる。

第四ステージ(内装艤装、シェークダウン) 
・船検を取って機走または帆走でクルージング開始。船検はプレジャー限定沿海。
・船上に住みながら内装艤装を仕上げる。中央キャビンは木工室。
・船体強度を確認する

第五ステージ
・船検を取り直す。プレジャー近海以上、客船平水または限定沿海。
・日本一周または日本二周航海を実現。その後は外国にクルージング。

取材・文/本橋一男
取材協力/川崎塗装株式会社、渡邊康夫