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2021年12月21日

全国から多数の参列者が集い
山崎達光名誉会長を偲ぶ会が…

 日本のヨット界に多大な貢献をした故・山崎達光日本セーリング連盟名誉会長を偲ぶ会が、12月5日、渋谷の岸精一メモリアルルームに全国から200余人の参列者が集ってしめやかに執り行われた。偲ぶ会に先立つ11月13日には、ニッポンチャレンジアメリカ杯の基地として山崎名誉会長が愛した蒲郡の海で、散骨式が同じく大勢の参列者が集って執り行われた。  偲ぶ会開催のちょうど1年前、令和3年12月6日に山崎達光名誉会長は86歳の生涯を閉じられた。外洋レースの黎明期から国内外のレースで活躍し、世界最高峰のヨットレース、「アメリカズカップ」に、ニッポンチャレンジアメリカ杯チームを率いて3度挑戦し、日本のヨット史に輝かしい歴史を刻んだ。また、日本セーリング連盟の会長に就任したのちは、オリンピックに情熱をもって取り組まれた。選手団長として臨まれた2004年のアテネオリンピックでは、470級男子、関・轟チームの銅メダル獲得を現実のものとして、日本中のヨットファンを喜ばせた。  文字通り、黎明期から国内外の海を席巻し、その豊富な経験と知識をもとに日本のヨット界を牽引してきた山崎達光名誉会長のご逝去に、改めて、深い悲しみと寂しさを覚えた。
 駆け出しの編集記者時代から、山崎達光名誉会長には公私にわたって大変お世話になりました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。どうぞ、安らかにお休みください。
 有難うございました。(本橋一男)  故・山崎達光(公益財団法人日本セーリング連盟名誉会長)略歴
 1934年、東京に生まれる。早稲田大学商学部を卒業後エスビー食品株式会社に入社。1983年に代表取締役社長、同89年に代表取締役会長を歴任。
 早稲田大学ではヨット部に所属。卒業後、名艇<サンバード>を駆って国内外の外洋レースに挑み、ワントンカップ、アドミラルズカップ、ケンウッドカップ等々、世界中の外洋ヨットレース界を席巻する活躍をみせた。1992年には、世界最高峰の「アメリカズカップ」に、ニッポンチャレンジアメリカ杯を組織して初挑戦を果たし、1995年、2000年と3度の挑戦で、日本はもとより、世界のヨット界にその名を刻んだ。
 旧日本外洋帆走協会(NORC)、日本ヨット協会(JYC)の役員を務めたのち、1999年、日本セーリング連盟(JSAF)の発足に尽力し、副会長、会長、名誉会長を歴任。シドニー五輪、アテネ五輪、北京五輪の選手団長を務めるなど、日本のヨット界発展に多大な貢献を果たした。
 (写真提供・川津 陽一、濱谷幸江)